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生存者たちの話    

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テロリストが歩き回って、殺す相手を探していた

Almog S.'s story

死を目の当たりにして

海外の友人たちへ。私たちはここイスラエルで、困難な時を過ごしています。私たちは自らを奮い立たせ、自分たちのコミュニティを支えようとしています。

金曜日に、2人の友人と私はNOVA音楽祭に行きました。私と友人たちがどのようにしてそこから脱出したかをお話します。

この話には生々しい描写はありませんが、平和と愛を祝うために来た人々がどんな目に遭ったかを世界中の人に知ってもらうために、この話をシェアします。

私たちは幸運にもなんとか逃げ延びることができました。

パーティーで愛する人を失った人々、侵攻されたモシャフ集落やキブツ、そして戦闘に参加した人々に哀悼の意を表し、愛を送ります。

10月7日、友人2人と私はNOVA音楽祭に行きました。

NOVA音楽祭は大規模なもので、(レイヴには)約3000人ほどの参加者がいました。私たちはとても盛り上がっていました。セキュリティーチェックの列では、スペイン語、英語、ポルトガル語、その他の言語が飛び交っていました。DJもブラジル、インド、ヨーロッパ、その他の国々から集まる国際的な音楽祭でした。私たちは一晩中踊り、心から音楽祭を楽しんでいました。

日の出の頃、私たちがメインステージで踊っていると、突然大きな爆発音が聞こえました。しばらくして音楽が止められ、私たちは走ってキャンプエリアの木の下に隠れました。私たちはロケット弾の攻撃を受けていましたが、(自分たちが受けている)攻撃の深刻さをまだ理解していませんでした。ロケット弾の攻撃から身を隠しながら、しばらくすると警備員がやってきて、「車に乗って立ち去れ!」と叫びました。私たちはすぐに荷物を受け取り、駐車場へと急ぎました。駐車場はパニック状態で、友人たちともはぐれてしまいました。周囲にロケットが落ち続ける中、私は友人に電話をかけ続け、何とか車で合流することができました。そこからはめちゃくちゃでした。逃げる人たちの車で大渋滞となり、私たちはもう一度車を脇に止め、ロケット弾から身を隠すことにしました。ロケット弾は絶え間なく落ち続けていました(この時点では、何が起きているのか、まさかテロリストがイスラエルに侵入しているとは、まったく思っていませんでした)。私たちは車に乗り込み、数メートル走っては止まり、木の下に身を隠しました。そうやって幹線道路に出るつもりで、少なくとも出られるだろうと思っていました。

突然、ライフルと銃声が聞こえ始めました。そのとき初めて、自分たちが大規模な攻撃を受けていることを理解したのです。人々が「車に乗って逃げろ!」と叫んだので、私たちは急いで車を走らせました。幹線道路に着くと、右側からは銃声が聞こえ、左側には先に行った多くの車が見えました。咄嗟の判断で、運転していた友人のバーは、本線に平行する未舗装道路を走り始めました。私たちが走る傍ら、幹線道路には、渋滞で動けなくなっている車から出てきた人たちが、混乱とパニックの表情を浮かべていました。途中、フェスティバルから逃げてきたという2人の女の子を車に乗せました。遠くから警察官が見えたので、彼女たちをそこで下ろしましたが、警察官は混乱しているようだったので、私たちは自力で道を探して脱出することにしました。バーが運転し、私がナビをして、一番近い安全装な道路に着いたのですが、畑から出る途中、道路に車が止まっているのが見えました。私たちが進もうと思った道と私たちの間にはT字型の交差点があり、その向こうには白いピックアップトラックが一台と、軍隊のベストを着た男が一人、横に立っていました。私たちは、彼が誰なのか分かりませんでした。何か異常なことが起こったことは理解していても、イスラエルに侵入したテロリストについてはまったく知らなかったのです。

私たちが車を減速させると、男がトラックの荷台から巨大な機関銃を取り出して私たちに向けたことに気がきました。男が何者で、何を意図しているのかは明らかでした。バーは、素早く車を回転させ、アクセルを思い切り踏みながら、砲火を受ける備えをしました。

幸運なことに、銃声は1回しか聞こえませんでした。機関銃が詰まったのだと思います。日は東から昇るので、私たちは全速力で太陽の方向に向かって走り続けました...ガザは西にありますから。ロケット弾や銃声があちこちで鳴り響き、サイレンが鳴り響くたびに、私たちは車を降りて地面に寝転び、テロリストが到着していないかくまなく探しました。ついに、私たちはモシャヴ「パティシュ」近くの道路に到着しました。そこからは、アラブの都市を通らないように南へ走り、午前9時15分、ベア・シェバの私の家に辿り着きました。

重要なこととして、私たちはここイスラエルでは平和の民であり、私たちの生活には争いがあることを付け加えておきたいのです。そのような対立のために、私たちが脱出ルートでアラブの入植地を通過することを恐れていたことは、話の中ですでに述べました。ハマスとイランがこの地域に広めているイデオロギーによって、紛争ではなく戦争が起きている。

彼らは、われわれが知っていて推進しているような道徳規範に従っていません。

侵攻の際、彼らは老若男女を区別しませんでした。

私たちが通過することを恐れていたベドウィンの街ラハトでは、少なくとも17人の子どもや大人が殺害されました。ベドウィンのアラブ人たちを殺害しているテロリストたちのイデオロギーによれば、彼らは私たちの隣に住んでいるという事実そのものゆえに裏切り者だということです。

悲しい現実です。

アルモグ S.


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