午前5時だった。タマルと私は "グッド・ピープル "キャンプ場にあるクッションに横たわっていた。ダンスエリアに戻る前に少し休んでいたのだ。「7時半にヨガをするんだよね?」タマルは私に尋ねた。「朝7時半までに、たくさんイベントがあるから大忙しだよ!ヨガをするエネルギーがあるかどうかは分からないわ」と私は言った。これから数時間のうちに始まるNOVA音楽祭の様々なワークショップのことを考え、私たちはワクワクして笑い合った。
午前6時30分、思わず体が動き出し、止まらなくなるような音楽の時間はちょうどピークを迎えていた。夜明けが近づき、いつも日の出とともにやってくる次の盛り上がりを期待していた。私たち5人はようやくメインステージのサイドラインに集まり、長い抱擁を交わした。タマルとヤエル、私とナタリー、そしてイファトを真ん中にしてサンドイッチ・ハグをした。
日が昇る前、ナタリーとヤエルと私はキャンプ場からサングラスを取りに急いで駆け寄った。日の出の寸前だったが、私は目がくらみやすいので、絶対にサングラスが必要だったのだ。メインステージで、タマルとイファトと別れた。
キャンプサイトまで歩いていると、パーティーの上空から爆発音が聞こえた。ロケット弾?それとも花火?このイベントにはハイクオリティな演出があったが、花火に投資するはずがない!いずれにせよ、私たちはガザ国境にいる。こんなことは時々あることで、すぐに終わってパーティーに戻れるだろう。
しかし、音楽が止み、拡声器によるアナウンスがあった。「地面に横たわり、両手を頭の上に置いてください!」
「メインステージの仲間が心配だわ」と、私はナタリーとヤエルに言った。「行こう!」ナタリーはためらうことなく言った。上空から爆発が続く中、私たちは2人を見つけ、抱きかかえた。私たちは、爆発のたびに身をすくめた。3分ほどでテントを片付けた。パニックの中で自制心を保とうとして、私たちはほとんど言葉を交わさなかった。荷造りの最中に警備員がやってきて、「必要なものだけ持ってここから逃げろ!」と叫んだ。
私たち5人はすべての荷物を持って車に向かった。運営の人たちが裏門を開けてくれたので、私たちは2分以内に自分たちの車を見つけることができた。ビクビクして厳戒態勢にあったことを除けば、この時点では私はかなり落ち着いていた。ロケット弾が遠くに見えただけだ。車に乗って逃げるだけだ!「うわー、でもあんなにいいパーティーだったのに」とガッカリしながら、パーティーが中止になったことを信じたくなかった。
私たちは、フェスティバル会場を出る最初の車列と思われるものに合流した。別の友人カップルは、混乱が収まるまでフェスティバルに残るとWhatsappにメッセージをくれた。彼らの運命を決める決断だった。私たちは道路に出たが、そこでイベントの警備員に右折して南へ向かうように言われた。その後、私たちが右折したのは、車線の仕切りを横切らないためだったことがわかった。私はてっきり、安全を考慮しての指示だと思っていた。それが本当に理由なのだろうか?こんなときに道路交通法を気にしていたのだろうか?
道中、私たちは何百台もの車と一緒になり、車列が一斉に止まるまで何キロもゆっくりと列をなして走った。思い浮かべてみてほしい。25歳の子供たち(平均)が運転する何百台もの車が、そのほとんどがガザ国境の狭い2車線の道路をUターンしながら、想像もできないような恐ろしい旅をしているのだ。ロケット弾が命中する前に、ここで交通事故が起きるんじゃないかと、ずっとそればかり考えていた。
「車列の先頭にテロリストがいて、車に銃弾を浴びせていると聞いたの」と、ナタリーは説明してくれた。
そうこうして3回引き返した。そのたびに違う道を試した。私たちは檻の中の羊のように、脱出できる出口を探していた。「ファラフェルをちょうだい」と私は隣に座っていたタマルに頼んだ。そう、ファラフェル!前の晩にタマルの家で作ったものだったけど、タヒニ(ねりごま)入りですごく美味しかった。それにお腹が空いていたの。もう朝7時だったし、喉がカラカラだけど、私はコーヒーは飲まないし、もう42歳だし!
私が運転している間、タマルは生のタヒニを水とレモンで混ぜ、私がファラフェルを一口ごとにタヒニに浸すことができるようにプラスチックのボウルを持ち、前日に屋台で買ったプチトマトも一緒に持っていてくれた。私たちは車に乗っていたし、道に出れていたし、不安を感じることもなく、困難を乗り越えつつあると思っていた。この時、まさかこの状況から抜け出せないなんて思いもしていなかった。どうか理解してほしい。私は人生、自分に悪いことなど起こらないという気持ちで生きている。困難があっても、その困難を乗り越えられるし、本当に悪いことは起こらない。そうね、「ジンクスを言うな!」という声が聞こえてきそう。でも、それが私の長年の経験による見方なの。そして今、私は確かに生きている。
そんな中、私たちはどこに向かっているのか分からないような狂ったようなドライブを続ける代わりに、防空壕を探してそこにとどまることにした。数分間その場所にいた。イファトは中に入り、私とタマルは外で一服した。するとすぐに、たくさんの車が私たちを追い越して行くのが見えたので、私たちも再び車に乗り込んだ。そして再び行き止まりにたどり着いてしまった。
けれどもし、その防空壕に残ると決めていたら、私たちはどうなっていただろう?あとで話すが、ショバルとランのようになっていただろうか?私は考えすぎだろうか。
私たちは3つ目の行き止まりにさしかかり、突然ナタリーとヤエルの車が目の前にあった。彼女たちは長い車の列を引き返そうとしていた。クラクションを鳴らすと、ナタリーは窓から顔を出して「引き返して!」と叫んだ。そこで、私たちはまた引き返し、音楽祭の入口を通り過ぎるまで走った。私たちはナタリーの車の後ろにいたが、突然彼女がバックで走り出した。私もバックしようとしたが、どうにも動けなかった。後ろにはすでにたくさんの車が止まっていたのだ。私はクラクションを鳴らし、「ナタリー、だめ!」と叫んだ。車がぶつかる衝突音…一体何が起こっているのか、全くわからなかった。
訳は2日後になってようやく分かった。「車列の先頭にテロリストがいて、車に銃弾を浴びせていると聞いたの」と、ナタリーは説明してくれた。
彼女たちは無理やり私たちの車を追い越していき、私は彼女たちに向かって「もうたくさん!」と叫んだ。誰も事態を把握してない。このままでは大惨事になる…そう思った私はまだ、最悪の事態は大規模な交通事故だと思っていた。「車を停めて、橋の下に避難するわ」と宣言した。
私は路肩に停車し、車から降りて外の空気を吸った。イーファトはロケット弾が私たちの頭上を飛び交う中、車から50メートル離れた橋に向かって歩き始めた。この段階では、危険は空からしかやってこないと思っていた。橋の下でしばらく身動きがとれなくなる可能性があることを考え、車をできるだけ横にずらして駐車し、通行の妨げにならないようにした。
冷静でいることと愚かであることは紙一重なのだと、私は全く分かっていなかった!私は駐車を終え、タマルは水などいくつかの持ち物を整理した。私たちはそれぞれができることをした。まるで母性がくすぐられて子供たちに飲み物を与える母親のように。橋の下に降りてタバコを二人で分かち合っていると、私たちと同年代と思われる別のグループが、「パーティーを盛り上げるために」と何かを勧めてきた。頭がいっぱいいっぱいだったので、私たちは丁重にお断りした。
終始、若者たちが四方八方に走っていた。私はそのヒステリーを理解できなかった。ロケットはすぐに止まるだろうに。タマルにタバコを渡すと、私たちは無言で 「いったい全体何が起こっているのかしら?」という表情を交わした。
すると、荒野にテロリストがいるという噂を耳にした。何ですって?何人いるの?50人もいるらしい。さらに上空にいる治安部隊は、車に乗って東へ逃げろと言った。だから私はしぶしぶ車に戻り、畑の中を東に向かって車を走らせた。1キロ以上走っただろうか、再び車の列が引き返してくるのが見えた。私たちは車を停めた。どこへ行けばいいのかわからなかった。周りで何が起こっているのか確かめるために車から降りた。すると突然、周囲から銃声が聞こえてきた。
すぐさま車に戻り、走りだした。道路があろうがなかろうが、もうどうでもよかった。後ろからイーファトが叫んだ。「走って!走って!テロリストがすぐ後ろにいる!」私は前だけを見て、全速力で車を走らせた。ただ前だけを見て。前に進めば助かると信じて… 丘が見えてきて、人々が荒野を走って逃げているのが目に飛び込んできた。彼らはなぜ走っているのだろう?なぜ車を持っていないの?私たちのすぐ隣にいたテロリストは既に遠くにいたし、1人か2人なんだと思い込んでいた。あんなにも大勢のテロリストがいたなんて…
私たちが運転していると、突然、少年が前に飛び出してきた。ドアを開け「乗って、乗って!」と叫ぶと、3,4人の少年少女が乗り込み、私たちは運転を続けた。彼らは後部座席でヒステリーを起こし、泣き声と叫び声のシンフォニーを奏でていた。私は前だけを見ていた。どんなことがあっても後ろを振り返ってはいけない。
一人の少女が降りたいと言ったので、私は車を止め、彼女たちは降り、代わりにそこにいた他の二人が乗り込んだ。この時点で私たちは車内に8人、後部座席に6人乗り、ドアは開けっ放しで埃だらけだった。前も横も車内もホコリだらけになり、1メートル先も見えなかった。もしかしたら、これも車のカモフラージュになったのだろうか?
ショバルとランもそこにいた。彼らは血まみれで歩き回り、血まみれのシェルターの床で、その基地の優秀な衛生兵であるシャイから応急処置を受けていた。
「もっと速く!」「右だ」 「いや、左だ 」「村まで走れ」 「いや、ツェリムまで走れ」とみんなが叫んでいた。たくさん人が乗っていてぎゅうぎゅうだったので、ショーンの顔は私とタマルの間に挟まっていた。ショーンは恐怖で呼吸が荒くなっており、私はみんなの死への恐怖を感じ取った。私はタマルの目をとらえ、またもや無言で叫んだ。「どういうこと??」 この時、私はペダルを奥まで踏み込んで時速60キロで走った。私の忠実な三菱アトラージュにしては重かった。「みんな」、私は毅然とした威厳のある声で言った。「これからは私と私の友人のいうことを聞いて。今から脱出する。息を吸って!」 まあ、実際はこんなにまとまっていなかったけれど、それが要点だった。
この時点で、道路には私たちだけだった。前にも後ろにも車はいなかった。私たち8人だけだ。あるキブツへ向かう道路に差し掛かったとき、銃撃で車がパンクした少佐に出会った。「一番近い基地に行けば安全だ。私もそこに向かうつもりだがパンクで時間がかかる。」と言った。私たちは彼の無事を祈ってから、車に乗り込んで走り出した。数百メートル後、エンジンフードに弾痕のある別の車が見え、その横に立っていた男が手を振って止まれと言ってきた。私たちは窓を全開にし、これ以上スペースがないことを謝ったが、後ろに軍人がいて、彼が迎えに来てくれるだろうと言った。「僕らはこの困難を乗り越えることができる。祝福がありますように!」彼はまだ生きていることが嬉しくてたまらないというように、そう言った。
さらに10分ほど道を進んだ。ツェイエル基地まで行こうかと思ったが、テロリストが軍事基地を占拠したと誰かが呟いていた。もしかしたらツェイエルかもしれない…と思い、私たちは小さな軍事前哨基地のようなものを見つけ、そこに向かって車を走らせた。「朝7時半までにいろいろと見て回ろうと言ったのに。それにあなたはヨガに行きたがっていたわね」と、私はタマルに言った。車内の雰囲気を明るくしようとして言った言葉だったが、それはとりわけ自分のためだった。
入り口の守衛所に車を停めた瞬間、私たちはイーファトを含め、全員車から飛び出した。彼女は、私たちが車の近くでぐずぐずしているのを見て、私たちの非常識さに信じられないと首を振った。私がタマルに 「トイレがしたい 」と言うと、彼女も 「私も」と言った。私たちは埃っぽい車の後ろで急いで小便をした。そして警備員が「早くしろ!」と叫ぶのが聞こえたので、私はタマルに「行こう、彼らもストレスを感じているんだ」という顔をした。私はスマホと水を手に取った。彼女はスマホも水は持たずにバッグを持ち、私たちは警備員のところへ走った。
この非戦闘基地の兵士たちは、私たちをシェルターに案内してくれた。ピックアップした若者たちはすでにそこにいた。ショバルとランもそこにいた。彼らは血まみれで歩き回り、血まみれのシェルターの床で、その基地の優秀な衛生兵であるシャイから応急処置を受けていた。
この基地で過ごした数時間、ショバルとランから話を聞いた。彼女たちは他の多くの若者と一緒に、道路脇のコンクリートシェルターに避難して、ロケット弾から身を隠していた。するとテロリストが現れ、シェルターの中に手榴弾を投げ込んだそうだ。彼女たち以外の生存者はおらず、そこから脱出するためには、粉々になった遺体を踏み越えなければならなかった。ショバルとランの両足には、破片が食い込んでいた。幸運にも、2人は偶然通りかかった車に救出された。基地に到着していたもう1人のかわいい女性も一緒に。
また、この時点で私たちは家族や友人に無事を伝えるメッセージを送ることができた。テルアビブにもロケット弾が飛んできたそうだが、子供たちは全員無事だったとわかった。彼らは生まれたときからロケットが飛んできることには慣れている。
13時頃、道路が通れるようになった。基地の兵士たちは、負傷者を救急車で避難させ、私たちには車で帰るようにと言った。しかし本当に安全になったのか信じられず、もう少しその場に留まった。結局、家に帰りたくてたまらなかったので、私たちは車に乗り込み、ドアに鍵をかけ、一言も発さずに走り続けた。
私はシャワーを浴びて、16時頃、キカル・ラビン近くの自宅で眠りについたが、20時には起こされてしまった。テルアビブ中心部の上空で爆発音とサイレンが鳴り響いたのだ。 そのとき初めて、被害の大きさを知った。私たちのいた場所が「あのパーティー」として知られていることがわかった。レイムにあるNOVAと呼ばれる「あのパーティー」として。私は、自分の幸運と摂理の大きさ、そして私が目撃しなかった、本当に悲惨な被害を思い知った。
今日から、私は2023年10月7日の出来事を、人生における 「悟り」、つまり災難や痛みの後の成長という意味の 「悟り」として思い出すだろう。この危機は、私自身の世界や国家を揺るがし、一人一人の人生を大きく変えてしまった。この悪から一体どんな善が立ち現れてくるのだろう。私はNOVA音楽祭の前日にチケットを買った。友人たちは数カ月前に買っていた。なぜ私がその場にいなければならなかっただろう?その意味はいつになったらわかるのだろう?家にいられるというのは。素晴らしいことだ
金曜日の午後、カルメル・マーケットでタマルとランチをする道中で。
私たちは次の数時間で事件が起きるなんて想像もつかなかった。
フェスの楽しいわずかな瞬間をとらえることができた。
そして、日曜日の夜、テルアビブの自宅で。チョコレート・パンケーキを食べながらみんなと団欒している写真。
ヨニット・K